この記事の要点
韓国では、婚姻が続いているかぎり夫婦は互いに扶養し、共同生活の費用を分担する義務を負います(韓国民法第826条第1項・第833条)。別居していてもこの義務は消えません。つまり離婚を申し立てなくても、生活費の支払いを家庭法院に求めることができます。ただし大きな落とし穴があります。大法院の判例によれば、相手方に履行を請求する前の期間の分は、原則として請求できません。黙って耐えた月数は、そのまま取り戻せない金額になります。そして離婚が成立した後は景色が一変します。韓国法には元配偶者への継続的な扶養(いわゆるアリモニー)の制度がなく、慰謝料と財産分与で清算する構造だからです。婚姻中と離婚後は、まったく別のルールが働きます。
東京に住むMさん(設例であり、実在の事件ではありません)は、ソウルで働く韓国人の夫と結婚し、事情があって数年前から日本と韓国で別々に暮らしていました。はじめのうち夫は毎月生活費を送っていましたが、ある時期からそれが止まりました。離婚の話が出たわけでもなく、書類が届いたわけでもありません。ただ、振込だけが来なくなったのです。Mさんは「離婚していないのだから、まだ何も請求できる立場ではない」と考え、二年近く待ちました。その二年が、後になって最も重い代償になりました。
この記事では、韓国法における夫婦間の扶養料・生活費用(韓国でいう부양료・생활비용、日本の婚姻費用にあたるもの)を扱います。子どもに帰属する養育費とは別の問題であり、また離婚後の金銭とも法的な根拠が異なります。
離婚しなくても、生活費は請求できる
韓国民法第826条第1項は「夫婦は同居し、互いに扶養し、協助しなければならない。ただし、正当な理由により一時的に同居しない場合には、互いに忍容しなければならない」と定めています。条文自体が、同居していない状態を想定したうえで、それでも扶養義務は残ることを前提にしています。別居は扶養義務の終わりではありません。
これを補うのが第833条です。「夫婦の共同生活に必要な費用は、当事者間に特別な約定がなければ夫婦が共同で負担する」。日本の実務で「婚姻費用」と呼ばれているものに、最も近い条文です。
両条文の関係について、大法院は2017年8月25日付2014스26決定で次のように整理しました。第826条の夫婦間の扶養・協助とは、「夫婦が互いに自己の生活を維持するのと同じ水準で相手方の生活を維持させること」を意味する。そして第826条第1項が扶養・協助義務の根拠を、第833条がその履行の具体的な基準を示した条項であり、第833条による生活費用請求が第826条とは無関係な別個の請求原因に基づく請求とみることはできない——という判断です。この「自己と同じ水準で」という考え方は、日本で生活保持義務と呼ばれてきた発想と重なります。
手続の面でも、これは離婚とは切り離された独立の事件です。韓国の家事訴訟法第2条第1項第2号は、家事非訟事件のマ類1号として「民法第826条および第833条による夫婦の同居・扶養・協助または生活費用の負担に関する処分」を掲げ、家庭法院の専属管轄としています。離婚を求めずに、生活費だけを求めることが制度上できるということです。「法廷に行く=離婚する」という思い込みが、実際にはいちばん多くの取りこぼしを生んでいます。
日本の「婚姻費用の分担」と、どこが違うのか
日本の民法第760条は「夫婦は、その資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担する」と定め、家庭裁判所の調停・審判で争われます。条文の骨格だけを見れば、韓国の第833条とよく似ています。日本にお住まいの方が「韓国にも婚姻費用はありますか」と尋ねられたとき、答えは「あります」で正しいのです。
違いは条文よりも金額の決まり方の見通しやすさにあらわれます。日本では標準算定方式にもとづく算定表が広く用いられ、当事者があらかじめおおよその幅を把握しやすい環境があります。これに対し韓国では、子の養育費については家庭法院の養育費算定基準表が公表されている一方、夫婦間の扶養料・生活費用について同種の公表された算定表は用いられていません。第833条が挙げるとおり、特別な約定の有無、家庭の実際の生活水準、双方の収入と財産、その他の事情を個別に評価して決められます。
この差は、実際には大きな意味を持ちます。目安表がある制度では「相場から外れているかどうか」が争点になりますが、目安表がない制度では何を生活水準の証拠として示すかそのものが争点になります。同じ「婚姻費用」という言葉で日本の感覚のまま見積もると、期待した額と結論がずれることがあります。
| 日本 | 韓国 | |
|---|---|---|
| 根拠となる条文 | 民法第760条(婚姻から生ずる費用の分担) | 民法第826条第1項(扶養・協助)+第833条(生活費用) |
| 別居中でも請求できるか | できる | できる(第826条第1項ただし書が一時的な非同居を前提に置く) |
| 離婚と同時でなければ争えないか | 別個に申し立てられる | 別個の審判事項(家事訴訟法第2条第1項第2号マ類1号) |
| 金額の目安表 | 標準算定方式による算定表が実務で広く用いられる | 夫婦間の扶養料には同種の公表算定表がなく、個別事情による評価 |
| 離婚後の継続的な扶養 | 財産分与の中で扶養的な考慮が論じられることがある | 元配偶者への定期的扶養の制度はない(第843条の準用対象に含まれない) |
最大の落とし穴 — 請求より前の期間は戻ってこない
冒頭の設例でMさんが失ったのは、この点です。大法院は前記2014스26決定で、過去の扶養料について次のように判示しました。第826条第1項の夫婦間の相互扶養義務は、夫婦の一方に扶養を受ける必要が生じたときに当然に発生するものではあるが、過去の扶養料については、特別な事情がないかぎり、扶養を受ける者が扶養義務者に義務の履行を請求したにもかかわらず義務者がこれを履行せず履行遅滞に陥った以後の分についてのみ支払を請求できるにとどまり、履行を請求される以前の期間の扶養料の支払は請求できない。それが扶養義務の性質および衡平の観念に合致する——というものです。同旨は2008年6月12日付2005스50決定でも示されており、確立した理解といえます。
実務上の帰結はきわめて具体的です。耐えていた期間は、法律上は補われません。生活費が途絶えた月から数えて、一か月目に動いた人と十か月目に動いた人とでは、同じ事情・同じ収入でも取り戻せる範囲が違ってきます。これは細かな技術的ルールではなく、金額そのものを左右する分かれ目です。
一方で、逆方向の誤解も避けなければなりません。「請求した」という一言があれば自動的に有利になる、というものではありません。いつの時点で、どのような内容の請求がなされたと評価できるのか、それを裏づける資料があるか、相手方が本当に履行遅滞といえる状態にあったのか——ここはいずれも相手方が正面から争ってくる部分です。その評価には法的な判断が必要で、しかも何か月も経ってからでは取り返せない種類の判断です。
どちらの国の裁判所で、どちらの国の法律が使われるのか
日韓の夫婦の場合、この問いが実質的な第一関門になります。韓国の国際私法第60条第1項は、扶養に関する事件について扶養権利者の日常居所が韓国にある場合に韓国の法院の国際裁判管轄を認めています。韓国で暮らしている日本人配偶者は、原則としてこの枠に入ります。国籍が決め手になるわけではありません。
では、生活費を求める側が日本に住んでいる場合はどうか。この場合、第60条第1項をそのまま根拠にすることはできません。もっとも同法第3条第1項は、韓国に日常居所がある者に対する訴えについて韓国の法院に国際裁判管轄を認める一般管轄を定めており、相手方が韓国で暮らしているのであれば、この一般管轄や同法第2条の実質的関連という枠組みが検討対象になります。どの規定でどう構成するかは事案ごとの評価であり、日本の家庭裁判所で進めるという選択肢と並べて比較すべき問題です。
さらに厄介なのが適用される法律です。国際私法第73条第1項本文は、扶養の義務は扶養権利者の日常居所地法によると定めています(同項ただし書は、その法によれば扶養を受けられないときに当事者の共通本国法によると定めます)。この規定を素直に当てはめると、日本に住む配偶者が韓国の法院に申し立てた場合であっても、審理で用いられる法が日本法になることがあり得るということになります。「韓国の裁判所=韓国法」ではないのです。なお同条第2項は、韓国で離婚が成立または承認された場合の元配偶者間の扶養義務について、その離婚に適用された法によるとしています。
ここは断定を避けるべき領域でもあります。「日常居所」は住民登録や在留カードの記載だけで決まるものではなく、生活の実態から個別に評価されます。単身赴任、子の就学、長期の滞在と帰国の繰り返しといった事情があると、どちらの国が日常居所かという点そのものが争点になります。したがって上記の結論を、すべての事案に当てはまる当然の帰結として受け取らないでください。
| 生活費を求める側の暮らし | 韓国の法院の管轄 | 適用される法 |
|---|---|---|
| 韓国で暮らしている | 第60条第1項(扶養権利者の日常居所が韓国) | 第73条第1項本文により韓国法となることが多い |
| 日本で暮らし、相手が韓国にいる | 第60条第1項では基礎づけられず、第3条第1項の一般管轄・第2条の実質的関連を検討 | 第73条第1項本文により日本法となり得る |
| 韓国で離婚が成立・承認された後 | 婚姻中の扶養とは前提が変わる | 第73条第2項によりその離婚に適用された法 |
※ いずれも「日常居所」の評価によって結論が変わり得ます。上表は条文構造の整理であって、個別事案の結論ではありません。
離婚が成立すると、ルールが入れ替わる
韓国民法第843条は、裁判上の離婚について準用される規定を列挙しています。損害賠償責任(第806条を準用)、子の養育責任(第837条)、面接交渉権(第837条の2)、財産分与請求権(第839条の2)、財産分与請求権を保全するための詐害行為取消権(第839条の3)。この列挙のなかに、元配偶者に対する定期的な扶養は含まれていません。夫婦間の扶養義務は婚姻関係に結びついた義務であり、婚姻が終われば根拠そのものが失われるからです。
代わりに用意されているのが、慰謝料(婚姻破綻についての責任にもとづく損害賠償)と財産分与(夫婦が協力して築いた財産の清算)という二本立てです。財産分与には見落としやすい期限があります。第839条の2第3項により、財産分与請求権は離婚した日から2年を経過すると消滅します。
この構造から導かれる実務的な含意は単純です。婚姻中に受け取れるはずだった生活費と、離婚後に受け取れる金銭は、別の入口から出てくるということ。したがって「いつ離婚するか」という判断は、感情の問題であると同時に、金額の問題でもあります。離婚を急ぐことが常に有利とはかぎらず、逆に先延ばしが常に有利ともかぎりません。どちらが有利かは、収入・財産の構成、別居の経緯、居住国といった事情の組み合わせで変わります。
制度の限界も、あらかじめ知っておいてください
公平のために申し添えます。家庭法院で金額が定められても、それは回収を保証するものではありません。相手方に収入や財産がなければ、決定は紙の上にとどまることがあります。これは韓国の制度が不十分だからというより、金銭債権の回収に共通する限界です。また、審理には時間がかかり、その間の生活はそれ自体が重い負担になります。
それでもなお、早い段階で動くことに意味があるのは、前述の「請求より前の分は戻らない」という原則があるからです。回収可能性の見通しと、請求時期の確保は、別々に考える必要があります。
なお、ここで扱ったのはあくまで配偶者自身の生活費です。お子さんの養育費は子に帰属する別個の権利であり、根拠条文も算定の枠組みも異なります。両方が問題になっている事案では、それぞれを分けて組み立てる必要があります。
要点の整理
・婚姻中は、別居していても夫婦は互いに扶養し生活費用を分担する義務を負う(民法第826条第1項・第833条)。
・離婚を求めずに生活費だけを家庭法院に求めることができる(家事訴訟法第2条第1項第2号マ類1号)。
・過去分は、履行を請求し相手が履行遅滞に陥った以後の分にかぎられる(大法院2014스26決定、2005스50決定)。
・どちらの国の法院か・どちらの国の法かは、日常居所の評価で変わる(国際私法第60条第1項、第3条第1項、第73条)。
・離婚後は定期的な扶養の制度がなく、慰謝料と財産分与で清算する。財産分与は離婚から2年で消滅する(第839条の2第3項)。
よくある質問
Q. 離婚していなくても、生活費を請求できますか?
できます。韓国民法第826条第1項は夫婦が互いに扶養し協助しなければならないと定め、第833条は夫婦の共同生活に必要な費用を当事者間に特別な約定がなければ共同で負担すると定めています。家事訴訟法第2条第1項第2号マ類1号は「民法第826条および第833条による夫婦の同居・扶養・協助または生活費用の負担に関する処分」を家庭法院の管轄事項として掲げており、離婚とは別個の審判事項として扱われます。
Q. 別居していると、もう請求できなくなりますか?
別居それ自体が扶養義務を消滅させるわけではありません。第826条第1項はただし書で、正当な理由により一時的に同居しない場合を想定し、互いに忍容しなければならないと定めています。もっとも別居に至った経緯や双方の事情は、金額の判断において考慮される要素になり得ます。
Q. 2年間もらえていません。さかのぼって全部請求できますか?
難しいのが実情です。大法院2017年8月25日付2014스26決定は、過去の扶養料については、特別な事情がないかぎり、扶養を受ける者が履行を請求したにもかかわらず義務者が履行せず履行遅滞に陥った以後の分についてのみ請求でき、請求を受ける以前の期間の分は請求できないとしています(同旨・2008年6月12日付2005스50決定)。いつの時点でどのような請求があったと評価できるかは争点になりやすく、個別の検討が必要です。
Q. 私は日本に住んでいます。韓国の法院に申し立てられますか?
国際私法第60条第1項は扶養権利者の日常居所が韓国にある場合に韓国の法院の国際裁判管轄を認めているため、日本にお住まいの場合はこの条項をそのまま根拠にすることはできません。相手方が韓国で暮らしているのであれば、同法第3条第1項の一般管轄や第2条の実質的関連という枠組みが検討対象になります。また同法第73条第1項本文は扶養義務を扶養権利者の日常居所地法によるとしているため、韓国の法院で審理される場合でも適用される法が日本法になり得ます。日本の家庭裁判所を選ぶ道と並べて比較すべき問題です。
Q. 離婚した後も、毎月の生活費をもらえますか?
韓国法には元配偶者に対する定期的な扶養の制度がありません。民法第843条は裁判上の離婚について準用される規定として損害賠償責任(第806条)、子の養育責任(第837条)、面接交渉権(第837条の2)、財産分与請求権(第839条の2)、財産分与請求権保全のための詐害行為取消権(第839条の3)を挙げており、定期的な扶養は含まれていません。離婚後は慰謝料と財産分与によって清算される構造で、財産分与請求権は離婚した日から2年を経過すると消滅します(第839条の2第3項)。
離婚後の金銭の枠組みについては韓国の財産分与の基準と慰謝料の解説、どちらの国の裁判所で進めるかという問題については国際離婚の管轄の解説、日韓の国際離婚全般については日韓の国際離婚のご案内もご参照ください。
待っていた月数は、取り戻せません。
いまのご事情で何がいつまでに問題になるのか、日本語でご一緒に整理します。
金平浩弁護士(キム・ピョンホ)
韓国弁護士、司法試験合格、司法研修院第43期修了。大韓弁護士協会 離婚専門弁護士登録。2021年 大韓弁護士協会 優秀弁護士賞受賞。
2014年以来、民事・刑事・家事など全分野で累計500件以上の事件を担当。
本記事は一般的な法律情報であり、個別事案についての法的助言ではありません。具体的な事案については弁護士にご相談ください。
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