韓国に、相続した実家の土地がある。あるいはソウルの銀行に口座が残っている——。日本で暮らしながら韓国に財産をお持ちの方が、いざ「遺言を用意しておこう」と考えたとき、多くの場合、最初にぶつかるのは同じ疑問です。「日本の方式で書いた遺言書は、韓国にある財産にもそのまま効くのだろうか」。
遺言は、遺されたご家族が争わずに済むようにするための、いわば最後の贈り物です。ところが韓国財産の遺言は、①どの国の法律で有効性が判断されるのか(準拠法)、②韓国民法が定める「方式」を満たしているか、③亡くなった後の「検認」手続き、という三つの関門を通らなければなりません。どれか一つでもつまずくと、せっかくの遺言が「無効」と判断されたり、財産の名義変更が進まなかったりします。この記事では、在日韓国人・日本在住の方が韓国の遺言で押さえておくべき要点を、韓国の弁護士の視点から整理します。
まず「どの国の法律で有効性を判断するか」——準拠法の問題
遺言をめぐる出発点は、その遺言が「どの国の法律に照らして有効か」という問題です。韓国の国際私法は、遺言の成立と効力について、遺言をした当時の遺言者の本国法によると定めています(国際私法第78条)。つまり、遺言者が韓国国籍であれば——在日韓国人として日本で長く暮らしていても——遺言の中身が有効かどうかは、原則として韓国民法で判断されることになります。
一方、遺言の「方式(形式)」については、より緩やかなルールが用意されています。国際私法は、遺言の方式について、遺言者の本国法・常居所地法・遺言をした場所の法(行為地法)・不動産についてはその所在地法などのいずれか一つを満たせば方式上有効とする「選択的連結」を採っています。理屈のうえでは、日本で日本の方式に従って作成した遺言も、方式としては有効になり得るということです。
ただし、ここに落とし穴があります。方式が理論上有効であることと、その遺言で韓国の不動産の相続登記ができたり、韓国の金融機関が預金の払い戻しに応じたりすることは、別の問題だからです。実務では、韓国の登記所や銀行が、韓国法上の要件を満たした遺言書・検認調書・翻訳・アポスティーユなどを求めることが多く、「日本で書いたから日本の方式で足りる」と考えていると、いざ執行の段階で立ち往生することが少なくありません。さらに、遺言者が日本に帰化して日本国籍になっている場合には、本国法の判断そのものが変わり得ます。国籍・常居所・財産の所在地が日本と韓国にまたがるケースでは、どの法律がどの部分に適用されるのかを最初に整理しておくことが欠かせません。
韓国民法が定める遺言の5つの方式
韓国民法は、遺言は法律の定める方式によらなければ効力が生じないと定め(民法第1060条)、その方式を自筆証書・録音・公正証書・秘密証書・口授証書の5つに限定しています(民法第1065条)。日本の遺言制度と似ているようでいて、細部の要件は異なります。以下は代表的な方式の概要です。
| 方式 | 概要 | 検認 | 在外の方に多い論点 |
|---|---|---|---|
| 自筆証書 | 遺言者本人が全文・日付・住所・氏名を自書し押印する | 必要 | 手軽だが、要件を一つ欠くだけで無効になりやすい |
| 公正証書 | 公証人の関与のもとで作成する | 不要 | 争いになりにくいが、口授など要件をめぐる争いは残り得る |
| 秘密証書・録音・口授証書 | 内容の秘匿や急迫時など、限られた場面で用いられる | 方式により異なる | 要件が厳格で、利用には特に注意が必要 |
このうち公正証書遺言は検認が不要で、後日の紛争リスクが比較的低いため、書類のやり取りが国境をまたぐ在外居住者にとって現実的な選択肢になりやすい方式です。もっとも、公正証書であっても、遺言者が口頭で遺言の趣旨を伝える「口授」の要件などをめぐって有効性が争われることはあり得ます(大法院2008年8月11日宣告2008ダ1712判決)。どの方式が適切かは、財産の種類・所在、相続人の構成、ご本人の状況によって変わり、一律には決まりません。
「全部書いたのに無効」——方式の不備が命取りになる
以下は、実際の大法院(最高裁にあたる)判決の事案をもとに、細部を脚色して再構成した事例です。
ある人が、自分の不動産を特定の相続人に遺すという内容の遺言書を、自らの手で書き残しました。全文を自筆で書き、日付を入れ、署名もして印も押しました。誰が見ても本人が真剣に書いたものだと分かる遺言書でした。ところが一点だけ、住所を書いていませんでした。
遺言者の死後、この遺言をめぐって争いになりました。そして裁判所の結論は「無効」でした。大法院2014年9月26日宣告2012ダ71688判決は、自筆証書による遺言は民法第1066条第1項により、遺言者が全文・日付・住所・氏名をすべて自書して押印してはじめて効力が生じるのであって、住所を自書していない遺言は方式に反し無効であり、遺言者が誰か特定できるからといって結論は変わらない、と判断しました。方式を厳格に定めているのは遺言者の真意を明確にし、後の紛争を防ぐためだ、というのがその理由です。
韓国の大法院は一貫して、「法が定めた要件と方式に反する遺言は、たとえ遺言者の真意に合致していても無効である」という立場をとっています(大法院2006年3月9日宣告2005ダ57899判決ほか)。故人の気持ちがどうであったかとは関係なく、形式の入り口で遺言が崩れることがある——これが遺言の怖さです。日本と韓国では、押印の慣行(実印か否か)、住所の書き方、そもそもワープロ書きが認められるかなど、細かな前提が異なります。日本の感覚のまま作成した自筆遺言が、韓国民法の方式要件を満たさずに無効となるリスクは、在外居住者ほど高くなります。
なお、無効の原因は方式だけではありません。遺言をした当時に遺言の意味を理解できたか(遺言能力)も、後から争点になり得ます。高齢での作成や、闘病中・認知症の診断後の作成では、この点をめぐる争いが起きやすく、当時の状態を裏づける資料がどう残っているかが結論を左右します。
検認——遺言書があっても、すぐには使えない
方式を満たした遺言書が残っていても、それだけで直ちに財産の手続きが進むわけではありません。公正証書遺言を除く遺言(自筆証書など)については、遺言者の死後、家庭法院での検認という手続きを経るのが原則です(民法第1091条)。検認は、遺言書の存在と形状・状態を確認して保存を確実にするための手続きで、これを経てはじめて相続登記などの実務が動き出します。
在外居住者にとって、この検認は想像以上に手間のかかる関門です。韓国の家庭法院に申立てるために、日本にいる相続人を含む関係者を把握し、除籍謄本・家族関係登録簿などの書類を集め、必要に応じて翻訳やアポスティーユを付す——こうした準備に時間がかかります。しかも検認は、遺言が有効だと確定させる手続きではありません。検認を経た遺言についても、方式違反や遺言能力を理由に、別途、遺言の効力を争う訴訟が起こされることがあります。「検認が済んだから安心」とは限らない、という点は見落とされがちです。
遺言があっても自由にはならない——遺留分という限界
「全財産を一人に遺す」という遺言も、方式と遺言能力の関門を通過すれば、それ自体は有効です。しかし、それで話が終わるとは限りません。遺言から外された相続人には、遺留分——法律が保障する最低限の取り分——を取り戻す権利が残るからです。
韓国では2024年の憲法裁判所の決定を受け、兄弟姉妹の遺留分は廃止されましたが、直系(子や親)や配偶者の遺留分は依然として残っています。したがって、特定の一人に財産を集中させる遺言を作っても、他の相続人から遺留分の返還を求められる可能性を織り込んでおく必要があります。遺留分の範囲や計算、廃止の詳細は韓国の遺留分の解説で扱っています。遺言の設計は、この遺留分という制約を前提に組み立てることが実務のポイントです。
遺言がない場合との違いと、専門家に相談する意味
有効な遺言がなければ、韓国の財産は法定相続分に従って相続人に承継され、分け方に争いがあれば相続人全員での協議、それも整わなければ家庭法院の相続財産分割審判へと進みます。相続人が日本と韓国に分かれている在日・日韓のケースでは、この協議を成立させること自体が容易ではありません(この局面については協議が成立しない時の相続財産分割審判で扱っています)。遺言は、こうした将来の紛争を未然に防ぐための有力な手段です。
ただし、これまで見てきたとおり、韓国財産の遺言は準拠法・方式・検認・遺留分が複雑に絡み合います。日本と韓国のどちらの方式で、どの財産について、誰にどう遺すか——この設計を誤ると、遺言が無効になったり、遺されたご家族が長い手続きを背負ったりしかねません。当事務所は、韓国の相続・家事事件を扱う弁護士事務所として、日本にお住まいの方の事情に即して、遺言の有効性や執行の見通しを整理するお手伝いをしています。ご自身のケースで何を優先すべきか迷われたときは、早い段階でご相談いただくことをお勧めします。
- 遺言の成立・効力は、原則として遺言当時の遺言者の本国法による(韓国国籍なら韓国民法)。方式は本国法・常居所地法・行為地法などのいずれかを満たせば足りる(国際私法第78条)。
- もっとも、韓国の不動産登記・預金払い戻しの実務では韓国法上の要件・検認・翻訳などが求められ、「日本で書いたから足りる」とは限らない。
- 韓国民法は遺言の方式を厳格に定め、方式に反する遺言は真意に合致していても無効(民法第1060条)。自筆証書で住所を書かなかっただけで無効とされた判例もある(大法院2012ダ71688)。
- 公正証書遺言を除き、死後に家庭法院の検認が必要。検認は有効性を確定する手続きではない(民法第1091条)。
- 特定の一人に遺す遺言も、直系・配偶者の遺留分による制限を受ける(兄弟姉妹の遺留分は廃止)。
よくある質問(FAQ)
Q. 日本で書いた遺言書は、韓国にある不動産にも有効ですか?
遺言の方式は、本国法・常居所地法・行為地法などのいずれかを満たせば方式上有効とされるため(国際私法第78条)、日本の方式で作成した遺言も方式としては有効になり得ます。ただし、韓国での相続登記や預金の払い戻しの実務では、韓国法上の要件を満たした書類や検認、翻訳・アポスティーユが求められることが多く、方式が有効でも執行の段階で手続きが必要になります。国籍や財産の所在によって扱いが変わるため、個別の確認をお勧めします。
Q. 公正証書遺言と自筆証書遺言、どちらがよいですか?
一般論として、公正証書遺言は検認が不要で後日の紛争リスクが比較的低いため、書類のやり取りが国境をまたぐ在外居住者に選ばれやすい方式です。自筆証書遺言は手軽ですが、全文・日付・住所・氏名の自書と押印という方式要件を一つでも欠くと無効になり得ます。どちらが適切かは財産の種類・所在や相続人の構成によって異なり、一律には決まりません。
Q. 遺言書があれば検認は不要ですか?
公正証書遺言は検認が不要ですが、自筆証書遺言などその他の方式では、遺言者の死後に家庭法院での検認手続きを経るのが原則です(民法第1091条)。検認は遺言書の存在と状態を確認する手続きであって、遺言が有効であることを確定するものではなく、検認後に効力が争われることもあります。
Q. 全財産を一人に遺す遺言は可能ですか?
方式と遺言能力の要件を満たせば、特定の一人に財産を集中させる遺言も有効です。ただし、直系(子・親)や配偶者には遺留分という最低限の取り分が保障されており、遺言から外された相続人が遺留分の返還を求めることができます。韓国では兄弟姉妹の遺留分は廃止されましたが、直系・配偶者の遺留分は残っています。
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LINEで相談する相続財産の全体像や相続税・遺留分の概要は在日韓国人の遺産・相続税・遺留分の解説を、相続人が協力できる場合の不動産・預金の手続については韓国にある不動産・預金の相続手続きを、相続全般のご案内は日韓相続のご案内ページをご覧ください。
Pyoung-ho Kim 弁護士(金平浩・キム・ピョンホ)
韓国弁護士、司法試験合格、司法研修院第43期修了。ソウル家庭法院選任の成年後見人として後見業務を遂行。2021年 大韓弁護士協会 優秀弁護士賞受賞。
2014年以来、民事・刑事・家事など全分野で累計500件以上の事件を担当。
※本記事は一般的な情報提供を目的とするものであり、個別の事案に対する法的助言ではありません。結論は事実関係により異なり得ます。具体的な事案については弁護士にご相談ください。