父が韓国で亡くなったのは、もう何年も前のことでした。葬儀のために一度帰国したきり、財産の整理は韓国に残った兄が引き受けることになり、日本で暮らす妹はあえて尋ねませんでした。数年後、ふと思い出して韓国の不動産登記簿を取り寄せてみると、父名義だった実家は、とうに兄の単独名義に変わっていました。預金も残っていません。兄は「連絡もなかったから、こちらで全部整理した」と言うだけでした。
※ 以下の場面は、相続の相談に共通する要素をもとに構成した設例であり、特定の実在の事件ではありません。
悔しさよりも先に頭をよぎるのは、たいてい別の不安です。「もう何年も経ってしまった。今さら自分の取り分を取り戻せるのだろうか」。この問いに答えるための制度が、韓国民法の相続回復請求権です。そして日本にお住まいの相続人にとって最大の落とし穴は、権利の中身ではなく期限が日本法と違うという点にあります。
この記事の要点
- 韓国籍の方が亡くなった場合、韓国にある遺産の相続には原則として韓国法が適用されます(韓国国際私法第77条第1項)。
- 他人や共同相続人が正当な権原なく遺産を占有・名義変更したときは、相続回復請求ができます(韓国民法第999条第1項)。
- 期限は侵害を知った日から3年、侵害行為があった日から10年。日本民法第884条の5年・20年とは異なります。
- 2024年6月27日、韓国憲法裁判所は民法第1014条に関する部分について「10年」を違憲と判断しました(2021헌마1588)。
- 法定相続分どおりの登記がされている場合は、それ自体を相続回復の対象とすることはできません(大法院2020다292626)。
1. 相続回復請求権とは — 「僭称相続人」から取り戻す権利
韓国民法第999条第1項は、次のように定めています。
韓国民法第999条(相続回復請求権)
① 相続権が僭称相続権者によって侵害されたときは、相続権者又はその法定代理人は、相続回復の訴えを提起することができる。
② 第1項の相続回復請求権は、その侵害を知った日から3年、相続権の侵害行為があった日から10年を経過すると消滅する。〈改正 2002.1.14〉
鍵になるのが僭称(せんしょう)相続人という言葉です。相続人でないのに、あるいは自分の相続分を超えているのに、相続人らしい外観を備えて遺産を占有したり自分名義に登記を移したりして、本来の相続人の権利を侵害する人を指します。
重要なのは、僭称相続人が「赤の他人」とはかぎらないことです。共同相続人の一人が、他の相続人の分まで自分のものだと主張して財産を占有したり単独名義で登記したりした場合にも、その超過部分については相続回復請求の相手方になり得ると理解されています。「家族の間のことだから」という理由でこの権利が排除されるわけではありません。
2. なぜ日本にお住まいの相続人に起きやすいのか
在日韓国人の方や、韓国に実家のある日本在住の方から寄せられるご相談には、共通する構造があります。「知るのが遅れる」という一点です。
韓国の不動産登記や金融機関の手続は韓国国内で完結します。日本にいる相続人が日々それを確認しているわけではありません。手続を任せた親族から「終わった」と言われれば、その内容を疑う理由もない。数年後にたまたま登記簿を見て初めて気づく — この時間差が、あとで述べる期限との関係で決定的な意味を持ちます。
そしてもう一つ、見落とされやすい前提があります。どの国の法律が適用されるかです。韓国国際私法第77条第1項は「相続は死亡当時の被相続人の本国法による」と定めています。つまりお亡くなりになった方が韓国籍であれば、相続人が日本に住んでいても、日本国籍であっても、相続そのものには韓国法が適用されるのが原則です(同条第2項により、被相続人が遺言の方式で常居所地法や不動産所在地法を明示的に指定していた場合は例外があります)。
また同法第76条第1項は、被相続人の死亡当時の常居所が韓国にあった場合や、韓国に相続財産がある場合には韓国の裁判所に国際裁判管轄があるとしています。日本に住んでいるから韓国の裁判所とは無関係、ということにはなりません。
3. 日本法との決定的な違い — 5年・20年ではなく、3年・10年
ここが、この記事でもっともお伝えしたい点です。日本にお住まいの方は、相続回復請求権について日本民法第884条の感覚 — 侵害を知った時から5年、相続開始の時から20年 — をお持ちのことが少なくありません。ところが韓国法が定める期間は、それより短いのです。
| 韓国民法第999条第2項 | 日本民法第884条(参考) | |
|---|---|---|
| 主観的起算点 | 侵害を知った日から3年 | 侵害の事実を知った時から5年 |
| 客観的起算点 | 侵害行為があった日から10年 | 相続開始の時から20年 |
| 性質 | 除斥期間と理解するのが一般的で、時効のように中断しないと説明されます | 条文上は「時効によって消滅する」と規定 |
二つの期間は同時に進行し、どちらか一方が先に過ぎた時点で権利そのものが消滅します。「まだ20年経っていないから大丈夫」という日本法の感覚のままでいると、韓国法では10年の壁をすでに越えていた、ということが起こり得ます。日本法についてのご判断は日本の弁護士にご確認いただくとして、韓国にある遺産については韓国法の時計で数えなければならない — この一点だけは、早い段階で意識していただく価値があります。
実務でもっとも激しく争われるのは、「知った日」をいつと見るかです。基準になるのは、親が亡くなったという事実を知った時点ではなく、自分の相続権が侵害されたこと — たとえば財産がすでに他人名義に移っているという事情 — を具体的に知った時点だと理解されています。冒頭の設例のように、後から登記簿を見て初めて知ったという場合、その時点をどう立証するかが結論を左右し得ます。
ただし、「知った日を遅く主張できる」と安心はできません。10年という外側の時計は、知っていたかどうかにかかわらず進むからです。
4. 2024年の憲法裁判所決定 — 後から認知された子の「10年」は違憲に
もう一つ、日本ではほとんど知られていない重要な動きがあります。
相続が開始した後に認知や裁判によって親子関係が確定し、あとから共同相続人になる場合があります。認知の効力はその子の出生時にさかのぼるため(韓国民法第860条)、この子は初めから相続人だった扱いになります。しかし他の相続人がすでに遺産を分割・処分してしまっていたら、現物を戻すのではなく自分の相続分に相当する価額の支払いを請求できると定められています(同法第1014条)。
問題は、この価額支払請求も相続回復請求の性質を持つとされ、第999条第2項の期間の枠内で管理する必要があると理解されてきたことです。認知の裁判が確定した時点で、すでに「侵害行為から10年」を過ぎているということが現実に起こります。
憲法裁判所 2024年6月27日 2021헌마1588 決定(単純違憲)
民法(2002.1.14 法律第6591号により改正されたもの)第999条第2項の「相続権の侵害行為があった日から10年」のうち、民法第1014条に関する部分は憲法に違反する。
この決定により、第1014条の価額支払請求権については、「侵害行為から10年」という外側の期限が効力を失いました。相続開始から長い年月を経て認知が確定した子にとっては、実質的な意味を持つ変化です。
もっとも、これで期限がなくなったわけではありません。「侵害を知った日から3年」は残っています。また、違憲決定の効力がどの範囲の事件にどこまで及ぶかは、事案ごとの検討が必要です。認知の裁判が確定したこと自体で安心するのではなく、そこから何を、いつまでに、という整理を早めに行うほうが安全です。
5. 似ているが別物 — 相続回復・遺産分割・遺留分
相続の紛争でよく混同される三つがあります。状況に合わない請求を立ててしまうと、時間と費用を費やしたうえに、上で見た期限を逃すおそれがあります。
| 制度 | どんな場面か | 相手方 |
|---|---|---|
| 相続回復請求 | 僭称相続人が相続権そのものを侵害して遺産を占有・名義変更したとき | 僭称相続人(他人の場合も、共同相続人の場合もある) |
| 遺産分割 | 互いに相続人であることは認めるが、分け方の協議が調わないとき | 他の共同相続人 |
| 遺留分返還 | 生前贈与・遺贈によって法が保障する最低限の取り分が侵害されたとき | 過大な贈与・遺贈を受けた人 |
三つは要件も相手方も期限も異なります。同じ事実関係でも、どの請求として構成するかによって結論が大きく変わり得ます。
6. 「自分に不利な登記=相続回復」ではない
期待を正確にしておきたい点もあります。登記の内容が自分に不利に見えるからといって、それがただちに相続回復請求の対象になるわけではありません。大法院は次のように判示しています。
大法院 2023年4月27日宣告 2020다292626 判決
共同相続人らの間で相続財産の分割が終わっていないにもかかわらず、特定の共同相続人について特別受益等を考慮すれば具体的相続分がないなどの理由を挙げて、その共同相続人には個々の相続財産について法定相続分による権利承継がまったく行われなかったとか、不動産である相続財産について法定相続分に従ってなされた相続を原因とする所有権移転登記が原因無効であると主張することは許されない。
この事件で原審は、生前に多額の贈与を受けていた長男の具体的相続分は0円だとして、長男名義の法定相続分どおりの登記を原因無効と判断しましたが、大法院はこれを破棄しました。分割が終わるまでは法定相続分による暫定的な共有状態にある以上、その登記自体を無効とは言えない、という理屈です。
つまり、生前贈与への不満は遺産分割や遺留分の枠で扱うべき問題であって、相続回復請求として組み立てても通らないことがあります。「取られた」という実感と、法律上「相続権が侵害された」と評価される場面は、必ずしも一致しません。
7. なぜご自身では判断しにくいのか
相続回復請求は、見た目には「自分の取り分を返してほしい」という単純な話に見えます。しかし実際には、判断がいくつも絡み合っています。相手が僭称相続人にあたるのか。問題の財産が相続回復の対象なのか、それとも別の請求で扱うべきものなのか。3年と10年の起算点をいつと見るのか。第1014条の場面にあたるなら、2024年の違憲決定がどう影響するのか。
これらは互いに噛み合って結論を変えます。一つの前提を取り違えると、取り戻せたはずの取り分を期間の経過によって永久に失うこともあります。しかも海外にお住まいの場合、事実を知るのが遅れやすく、韓国側の資料を確認すること自体に時間がかかります。期間の管理は、日本国内の相続よりもむしろ難しくなります。
一方で、相続回復請求が認められた場合でも、相手方が任意に応じなければ執行の手続が別に必要になり、その分の時間と費用がかかります。日韓をまたぐ場合はなおさらです。「訴えれば自動的に戻ってくる」という制度ではないことも、あわせて申し添えておきます。
8. 時間が味方をしない類型です
相続から外されていたと気づいたとき、多くの方が悔しさよりも先に「今さら何になる」という諦めに傾かれます。けれども、取り戻せるのか、そしてあとどれだけの時間が残っているのかは、事実関係を並べてみるまで分かりません。1日の違いで結論が分かれるのが、まさにこの領域です。
「証拠と言えるものがない」「兄弟と争いたいわけではない」という段階でも、どの時計が、いつから、あと何年残っているのかを確認しておくことには意味があります。残り時間が分かって初めて、争うかどうかを落ち着いて選べるからです。
韓国の相続に関するご相談
汝諧法律事務所は、日本にお住まいの方からのご相談をLINEで承っています。日本語でご事情をお送りください。まだ確信が持てない段階でも、期間の残りを確認するところから始められます。
よくあるご質問
Q1. 韓国にある父の遺産ですが、私は日本国籍です。韓国法が適用されるのですか。
相続の準拠法は、相続人ではなく被相続人を基準に決まります。韓国国際私法第77条第1項は「相続は死亡当時の被相続人の本国法による」と定めているため、お亡くなりになったお父様が韓国籍であれば、相続には原則として韓国法が適用されます。ただし同条第2項により、被相続人が遺言の方式で常居所地法や不動産所在地法を明示的に指定していた場合は例外があります。相続人の国籍や居住地によって準拠法が変わるわけではありません。
Q2. 日本民法の5年・20年と同じだと思っていました。韓国では違うのですか。
異なります。韓国民法第999条第2項は、相続回復請求権が「侵害を知った日から3年、相続権の侵害行為があった日から10年」を経過すると消滅すると定めています。参考として日本民法第884条は5年・20年としており、韓国のほうが短く、また客観的な起算点も「相続開始の時」ではなく「侵害行為があった日」です。日本法についてのご判断は日本の弁護士にご確認いただく必要がありますが、韓国にある遺産については韓国法の期間で数える必要があります。
Q3. 兄が単独名義に登記していました。家族でも相続回復請求の相手になりますか。
なり得ます。共同相続人の一人が他の相続人の分まで自分のものだと主張して財産を占有したり単独名義で登記したりした場合、その超過部分については僭称相続人として相続回復請求の相手方になり得ると理解されています。ただし、大法院2023年4月27日宣告2020다292626判決は、遺産分割が終わっていない段階で法定相続分どおりになされた登記について、特別受益を理由に原因無効と主張することは許されないとしています。どの類型にあたるかは個別の検討が必要です。
Q4. 父が亡くなってから10年以上経っています。もう手遅れでしょうか。
期限が決め手になりますが、10年の起算点は「相続開始の時」ではなく「相続権の侵害行為があった日」です(韓国民法第999条第2項)。死亡から長い年月が経っていても、名義の移転など侵害にあたる行為が後の時点で行われていれば、そこから数えることになります。逆に、侵害を知ってから3年が過ぎていれば10年以内でも消滅します。「もう遅い」と決めつける前に、いつ何が起きたのかを整理して残り期間を確認されることをおすすめします。
Q5. 後から認知された子どもですが、遺産はすでに分割済みでした。方法はありますか。
相続開始後の認知等によって共同相続人となった方は、他の相続人がすでに分割や処分を終えている場合、自分の相続分に相当する価額の支払いを請求できます(韓国民法第860条・第1014条)。この請求について、憲法裁判所は2024年6月27日、2021헌마1588決定により、民法第999条第2項の「侵害行為があった日から10年」のうち第1014条に関する部分は憲法に違反すると判断しました。もっとも「侵害を知った日から3年」は残っており、違憲決定の効力がどの事件にどこまで及ぶかは事案ごとの検討が必要です。認知の裁判が確定したら、早めに次の段取りを整えるほうが安全です。
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本記事は韓国法の一般的な説明であり、個別事案に対する法的助言ではありません。日本法に関する記述は比較のための一般的な参考であり、日本法についてのご判断は日本の弁護士にご確認ください。記載した条文・判例・決定は執筆時点のものです。実際のご判断にあたっては、必ず個別にご相談ください。
